三三株式会社 代表取締役社長 寺田 親弘氏
アナログデータの活用サービス
- 戦国時代に生まれて天下を取りたかった
寺田:子どもの頃から「戦国時代に生まれて天下を取りたかった」と考えていました。そのような根っからの気性に、経営者である父親の影響もあってか、ずっと会社を作りたいと夢見ていました。
- 大学時代にベンチャーを設立
寺田:高校時代はマージャンをやったり、いろいろ遊んでばかりでした。慶応義塾高等学校でしたが、内部進学できる学部がほとんどない状態でした。大学に入学したら生まれ変わろうと思い、当時先進的なイメージだったSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)になんとか入学しました。しかし結果的に入学後もあまり勉強せず、仲間を作ってウェブ制作を始めました。1995年頃です。
- シリコンバレーで100社以上のベンチャーを回る
寺田:起業の力をつけるために、もっと大きな舞台で仕事がしたいと思い三井物産に入社しました。情報産業本部に在籍、勢いもあり、個人を尊重する部署でした。最初は3~5年で辞めて起業しようと思っていたのですが、実際に就職してみると仕事は奥深く、3年目にはシリコンバレーで働かせてもらいました。アメリカでの優れた製品を発掘し日本で販売するというのがミッションで、アメリカのベンチャー企業を1年間で100社以上訪問しました。非常に刺激のある毎日でしたが、ここで区切りをつけようと思い在籍8年目に退職しました。恩義ある会社に対して心残りではありましたが「三井物産出身者が世の中でがんばっている」ということを示すのもひとつの恩返しではないか、と考え起業に踏み切りました。今、三井物産は弊社の大きなお客様になっていただき大変感謝しています。
- アメリカで気づいた日本の名刺文化
寺田:実は入社半年くらいで既に今の名刺ビジネスの企画書を作っていました。今でも手元に残っています。さらにアメリカでのビジネス経験が大きく影響しました。アメリカのビジネスマンにとって名刺は連絡先の交換手段であり、日本人が名刺交換を“はじめまして”と同意義で捉えているのと比べて、その違いに衝撃を受けました。名刺が持つ意味合いが違うのだと思います。それであればなおさら日本オリジナルのビジネスとして立ち上げることができるのではないか、と起業に自信を持ちました。
- 優秀な仲間との出会い
寺田:設立当時からの取締役を始め、現在のメンバーには本当に恵まれていると思います。取締役は私を含め5人です。営業担当の富岡は大学時代からの仲間で彼の赴任先の中国まで起業の誘いをしに行きました。サービス担当(創業当時:技術担当)の塩見は三井物産関係のシステム会社にいてアメリカ赴任時代の仲間でした。経営管理担当の角川は大学時代からの友人で経営企画・管理の経験者です。技術担当の常楽は塩見の仕事仲間です。本当にいい人脈があったと思っています。
富岡(同社取締役):アジアで4年程仕事をしていたこともあり、寺田から初めて話を聞いたとき、このサービスがアジアで広がる可能性をすぐに感じました。IT分野ではなかなか日本企業がグローバルになっていない。それは文化を取り入れていないことが原因でもあると思うのです。名刺という日本の文化とITの組み合わせで日本発のITサービスになりうると感じました。メンバー一同一生懸命やっていますが、その中でも寺田が自らいちばんのめり込んでやっているというのがいい刺激となっています。
- 心地よいプライシングでは、新しい市場は作れない
寺田:経営上今までで一番大きな意思決定は価格についてでした。最初は機械込みで10万円(月10名まで使用可能)! 機能は今よりずっと少なく、普通に考えたら2万5千円程度が心地いい価格でしょう。しかし目一杯高くしようという考えでした。価格は低いところから上げるのは大変、下げるのは簡単。値段を先に決め、その価値に見合うサービスにしていこうという順番で考えました。その価格づけはサービスの価値を上げるのに、結果として非常に大きなポイントとなりました。心地よいプライシングではなく、違和感を覚えるくらいのプライシングでないと新しい市場は作れないと思います。
- 非常にインパクトのあった赤浦氏との出会い
寺田:三井物産をまだ辞めていない段階にも関わらず、赤浦氏(インキュベイトキャピタルパートナーズ ゼネラルパートナー)に事業計画とメンバーが揃っただけで出資すると言われ驚きました。当時の私にまだ大企業的発想が残っていたのでしょう、大きく投資し大きく収穫したいという思いがありました。事業計画書を赤浦氏に見せたところ「まずは100社売れればいいじゃないか。そこまでに高いマシーンは使わず安いPCサーバーでも何でもいい、なんとでもして黒字にし、そこでもう一度立ち止まって考えればいい」と言われたのです。当時の私には心地よくないコメントでした。でもそこで冷静に考えればその通りだと思ったのです。100社だったら高い価格でも売れるかもしれない、そういう思いも結果的に価格設定を高くすることにつながりました。一方でローコストを徹底し、最初の1年間は役員5人ほぼ無給でした。
「名刺管理サービス "Link Knowledge" に対する想い」「今後の事業展開」など、
インタビューの続きは「THE INDEPENDENTS」11月号- p4 よりご覧いただけます。


